クリエイティブなことは合意形成が難しい側面がある。
論理とかそういうのを超えて「いいものがいい」のだから、当たり前だ。
授業もそう。授業づくりもそう。
「2001年宇宙の旅」での知的生命体をめぐる制作プロセスがのってる。
http://www.2001italia.it/2013/10/2001-aliens-that-almost-were.html
宇宙人はどんなデザインがいいのか、様々な議論と試行錯誤の結果、宇宙人出さないとい結果に至った過程はすごい、ものづくりの面白さを端的に表している。ような気がした。
2016年8月21日日曜日
2016年8月20日土曜日
雑感 頭の中を整理する
金曜日に研究会の集まりがありました。
なんだか久しぶりに頭を使う機会だったのですごく疲れた。
考えを整理してみよう。
○「ファールチップ」
講師の方がファールチップになる実践が多いとおっしゃっていた。
この日の参加者、そして場を考えたときに、このようなことを言われたのは結構意味がある。
ファールチップ≒ファーストタッチの図工≒エセ子供主義。
芯を食わない実践をしておきながら、多様性が出た、とか、子供のありのままの姿、とか言っていてはよくないです。
見えてないリアリストは、創造性を要とする教科で、"子供の姿"なんてものを盾にして、ファールチップを量産する。
○「それって特活じゃない?」「図工の研究なんだよ?」
まさかまだそんなことを言っている人がいるとは思わなかった。
いつまでたっても内側ばかり向いてる、あかい保守。
むしろ聞きたいんだけど、なんで特活や総合を取り入れちゃダメなの?
境界的な研究てしちゃダメなの?
見えてないんだろうな。図工ってあなたがみているよりもっと広いのに。身近にあふれているのに。
自らの力で閉じた世界にしようとしている。
ドアは常に開かれているのにね。
○「子供の姿で考えようよ」
いまだに子供の姿ってどういうもののことをいうのかわからない。
場面場面で切り取られた子供の姿ね。
だれかわかるように教えてほしい。子供の姿って本当にあるの?
授業後だったら、ある程度は考えられるよね。現に見てるから。
(それも観測された行動でしかないけど。主観)
でも授業構造をつくる段階での子供の姿って何?
勤務校の児童から導き出せるある程度の予想のこと?
その予想のことだと、仮定すると、
「子供の姿が見えません」ってのは裏返して言えば、
わたしはそういう実践したことありません。
児童をその段階まで連れて行ったことありません。って言っているのと同義だと思う。
○共通すること
物事を捉える、「みる」ってことは重要なんだなと感じました。
自分ができている自信は全く無い。けど表明する上でできている必要は全く無い。
子供の姿ってのがあるのならみてみたいし、ファールチップもできれば打ちたくない。
いろんな人がいていろんな考えがあるから面白いんだよね。
不満を書いたらすっきりした。
題材は!?が子供の中でガツンとくるものでなければいけない。
なんとなく手渡すのではなく、そのバックグラウンドにあるものを子供が見ようとすれば理解できるように見えるように手渡すことが重要だ。壮大だと言われようとも、そこまで意図するのだ。
図工だけのためにやってんじゃないんだから。
そう思った。
なんだか久しぶりに頭を使う機会だったのですごく疲れた。
考えを整理してみよう。
○「ファールチップ」
講師の方がファールチップになる実践が多いとおっしゃっていた。
この日の参加者、そして場を考えたときに、このようなことを言われたのは結構意味がある。
ファールチップ≒ファーストタッチの図工≒エセ子供主義。
芯を食わない実践をしておきながら、多様性が出た、とか、子供のありのままの姿、とか言っていてはよくないです。
見えてないリアリストは、創造性を要とする教科で、"子供の姿"なんてものを盾にして、ファールチップを量産する。
○「それって特活じゃない?」「図工の研究なんだよ?」
まさかまだそんなことを言っている人がいるとは思わなかった。
いつまでたっても内側ばかり向いてる、あかい保守。
むしろ聞きたいんだけど、なんで特活や総合を取り入れちゃダメなの?
境界的な研究てしちゃダメなの?
見えてないんだろうな。図工ってあなたがみているよりもっと広いのに。身近にあふれているのに。
自らの力で閉じた世界にしようとしている。
ドアは常に開かれているのにね。
○「子供の姿で考えようよ」
いまだに子供の姿ってどういうもののことをいうのかわからない。
場面場面で切り取られた子供の姿ね。
だれかわかるように教えてほしい。子供の姿って本当にあるの?
授業後だったら、ある程度は考えられるよね。現に見てるから。
(それも観測された行動でしかないけど。主観)
でも授業構造をつくる段階での子供の姿って何?
勤務校の児童から導き出せるある程度の予想のこと?
その予想のことだと、仮定すると、
「子供の姿が見えません」ってのは裏返して言えば、
わたしはそういう実践したことありません。
児童をその段階まで連れて行ったことありません。って言っているのと同義だと思う。
○共通すること
物事を捉える、「みる」ってことは重要なんだなと感じました。
自分ができている自信は全く無い。けど表明する上でできている必要は全く無い。
子供の姿ってのがあるのならみてみたいし、ファールチップもできれば打ちたくない。
いろんな人がいていろんな考えがあるから面白いんだよね。
不満を書いたらすっきりした。
題材は!?が子供の中でガツンとくるものでなければいけない。
なんとなく手渡すのではなく、そのバックグラウンドにあるものを子供が見ようとすれば理解できるように見えるように手渡すことが重要だ。壮大だと言われようとも、そこまで意図するのだ。
図工だけのためにやってんじゃないんだから。
そう思った。
2016年8月15日月曜日
好きな崖線と好きな水路と好きなベースの人
国分寺崖線は大昔の多摩川が削り取った河岸段丘です。
「国分寺ー坂と階段、ときどき猫」みたいな本を出版したい。
国分寺周辺は現在は野川が寄り添っていますが、この川が削り取ったわけではない。
ロボット野川。
ここが面白い。
水路の跡が放置されている。
もう水が流れることはないけど、この佇まい。
存在感びりびりあるのにひっそり潜伏している感じ。
ところで、ここからが本題だが、元ゆらゆら帝国の亀川千代さんをお惣菜売り場で発見した。
これはどきどきした。
昨日ちょうどゆら帝の話で盛り上がっていたのである。
これは!
駅の方へ向かうところで声をかけてみた。
反応はないしょである。
いい水路跡も見れたし、千代さんもみれたし、どきどきした。
この曲好き。こんとき、この場にいました。
スイカに似てるなあと思って見ていました。
月日が経つのははやいですね。
2016年8月14日日曜日
2016年8月13日土曜日
2016年8月12日金曜日
2016年8月11日木曜日
2016年8月10日水曜日
2016年8月9日火曜日
2016年8月8日月曜日
イゾラドを見た
2016年8月7日日曜日
2016年8月6日土曜日
2016年8月5日金曜日
2016年8月4日木曜日
金沢21世紀美術館
2016年8月3日水曜日
2016年8月2日火曜日
世界遺産 五箇山
2016年7月29日金曜日
2016年7月28日木曜日
2016年7月27日水曜日
身近な世界と図画工作(考え中)
1 身近な世界と図画工作
現実の身近な世界は厳密に教科で切り分けることができない。様々なものごとは複雑に絡み合い、見る角度によって様々に表情を変える。身近な世界にどのように働きかけ、アプローチし、問題を解決していくか、というプロセスは、未来を生きる上で重要である。
図画工作ならではの見方・考え方をしながらも、世界を認識し、確かめ、“わたし”自身が立つ現在地点を確かなものにする、より統合的な総合表現活動が必要であると考える。
〈アプローチする方法:図工の思考力〉
図工の思考力を考えた時に、「手で考える」のだ、という言葉を子供がつぶやいていて、しっくりきた。手で考える、身体で考える。ものごとと直接かかわる図画工作でことさら“身体性”が重要視されているのも頷ける。“身近な世界”と関わるためのアプローチドアこそが“身体”そのものであろう。“わたし”は身体をつかって絶えず交信している。確かめている。諸感覚をつかって“わたし”は絶えず世界を拡げている。感じ取って、考えて、また感じて。“わたし”は拡げると同時に深めているのだ。心と頭という内面をつかって“わたし”を掘り下げているのだと言える。その過程こそがまさに図工ならではの思考力が発揮される場だろう。
現実の身近な世界は厳密に教科で切り分けることができない。様々なものごとは複雑に絡み合い、見る角度によって様々に表情を変える。身近な世界にどのように働きかけ、アプローチし、問題を解決していくか、というプロセスは、未来を生きる上で重要である。
図画工作ならではの見方・考え方をしながらも、世界を認識し、確かめ、“わたし”自身が立つ現在地点を確かなものにする、より統合的な総合表現活動が必要であると考える。
〈アプローチする方法:図工の思考力〉
図工の思考力を考えた時に、「手で考える」のだ、という言葉を子供がつぶやいていて、しっくりきた。手で考える、身体で考える。ものごとと直接かかわる図画工作でことさら“身体性”が重要視されているのも頷ける。“身近な世界”と関わるためのアプローチドアこそが“身体”そのものであろう。“わたし”は身体をつかって絶えず交信している。確かめている。諸感覚をつかって“わたし”は絶えず世界を拡げている。感じ取って、考えて、また感じて。“わたし”は拡げると同時に深めているのだ。心と頭という内面をつかって“わたし”を掘り下げているのだと言える。その過程こそがまさに図工ならではの思考力が発揮される場だろう。
また図画工作ならではの見方・考え方をしながらも、より統合的な活動が必要であると考える観点から、思考する活動についても話し合ったり、図を用いたり、表で計画を立てたりといった一般に他教科の文脈で語られることの多かった活動などを相乗的に活用する必要もある。
〈アプローチする対象:図工の対象、題材の対象、テーマ〉
図工の思考力は働く方向・対象を提案することによってより高次なものとなる。
高学年児童は、個別のものごとを比較関連付けて、統合的にものごとをみることができるようになる。今回ここでは個別の事象体験(ものの体験)をさせるのではなく、統合的に活用しながら、実際の身近な世界(身近な社会)と関わり合い、表現を広げ深めていくことができるアプローチの対象を選出したい。
“生活を美しく豊かにする造形や美術の働き、美術文化についての実感的な理解を深め、生活や社会と豊かに関わる態度を育成することについてはさらなる充実を求められている。”〈さらなる充実を求められる事項について 芸術ワーキンググループにおける取りまとめ(案)P1〉
図工の思考力は働く方向・対象を提案することによってより高次なものとなる。
高学年児童は、個別のものごとを比較関連付けて、統合的にものごとをみることができるようになる。今回ここでは個別の事象体験(ものの体験)をさせるのではなく、統合的に活用しながら、実際の身近な世界(身近な社会)と関わり合い、表現を広げ深めていくことができるアプローチの対象を選出したい。
“生活を美しく豊かにする造形や美術の働き、美術文化についての実感的な理解を深め、生活や社会と豊かに関わる態度を育成することについてはさらなる充実を求められている。”〈さらなる充実を求められる事項について 芸術ワーキンググループにおける取りまとめ(案)P1〉
“授業で学習したことを、授業時間以外に、学校や地域で表現する場を用意するなど、学校自体が学校における学習と社会をつないでいくことに取り組むことも重要である。特に芸術系教科は、教室の中の閉じた人間関係にとどまらず、教職員や保護者、地域の人々などと連携ができる教科であり、身近なところから社会に関わる活動を進めていくことも、子供の学びを深めていく上で効果的である。”〈生活や社会の中での働きについて 芸術ワーキンググループにおける取りまとめ(案)P17〉
2 大会に向けて
知る限りにおいて、児童が“主体的に”都図研大会に参加するような題材はほとんど行われていない。児童は常に“楽しい図工の世界”のお客様であったように思われる。ある事象に対する図工としてのアプローチがその教科の見方・考え方の大枠であるのならば、この大会を生かさないわけにはいかない。私たちは子供をお客様にはしない。
2 大会に向けて
知る限りにおいて、児童が“主体的に”都図研大会に参加するような題材はほとんど行われていない。児童は常に“楽しい図工の世界”のお客様であったように思われる。ある事象に対する図工としてのアプローチがその教科の見方・考え方の大枠であるのならば、この大会を生かさないわけにはいかない。私たちは子供をお客様にはしない。
2016年7月25日月曜日
2016年7月24日日曜日
2016年7月23日土曜日
2016年7月20日水曜日
好きな橋跡
2016年7月19日火曜日
「さよなら、またね。改め 図工の力でどうにかしよう!」
2016年7月18日月曜日
2016年7月17日日曜日
2016年7月16日土曜日
伝説を残すとは。
まず前提として我々は11月だか12月だかに伝説を残す。
伝説とは何であるか。
伝説に残る授業とは。
個人研究ではない授業。
区市教研ではない授業。
本質のある授業。(これは授業を受ける側にも、参観側にも)
つかみどころのない授業。(これは授業を受ける側にも、参観側にも)
ざわつく授業。(参観者がね)
「!」がある授業。(これは授業を受ける側にも、参観側にも)
もう思いつかない。
「1クールのレギュラーより1回の伝説。」エガちゃんの名言である。
エガちゃんはなぜ伝説を残すのか。それは芸人としての奉仕の饗応精神であろう。ところが我々のそれには私欲が溢れている。なぜ伝説を残すのか。楽しいからである。
もちろん奉仕の精神はある。これからの芸術科目が進むべき指針を聴衆に提示すること。この組織自体が持つかっこ悪いところを白日の下にさらすこと。芸術領域が教育および人間の人生に必要不可欠であることを実践レベルで証明すること。
だが裏を返せばこれらは私欲と表裏一体だ。一石二鳥だ。これらはついでに過ぎない。仕事を楽しむ上での付加要素でしかないのだ。
さあ11月か12月、
最高の暇つぶしをさせてくれよ。
楽しい伝説を残させてくれよ。
伝説とは何であるか。
伝説に残る授業とは。
個人研究ではない授業。
区市教研ではない授業。
本質のある授業。(これは授業を受ける側にも、参観側にも)
つかみどころのない授業。(これは授業を受ける側にも、参観側にも)
ざわつく授業。(参観者がね)
「!」がある授業。(これは授業を受ける側にも、参観側にも)
もう思いつかない。
「1クールのレギュラーより1回の伝説。」エガちゃんの名言である。
エガちゃんはなぜ伝説を残すのか。それは芸人としての奉仕の饗応精神であろう。ところが我々のそれには私欲が溢れている。なぜ伝説を残すのか。楽しいからである。
もちろん奉仕の精神はある。これからの芸術科目が進むべき指針を聴衆に提示すること。この組織自体が持つかっこ悪いところを白日の下にさらすこと。芸術領域が教育および人間の人生に必要不可欠であることを実践レベルで証明すること。
だが裏を返せばこれらは私欲と表裏一体だ。一石二鳥だ。これらはついでに過ぎない。仕事を楽しむ上での付加要素でしかないのだ。
さあ11月か12月、
最高の暇つぶしをさせてくれよ。
楽しい伝説を残させてくれよ。
2016年7月15日金曜日
2016年7月14日木曜日
「ギコギコトントン」
例年、垂木と小割りを大量に切らせてから(グループで→一人で)、釘を打たせています。
0回目、なんかつくるよ。
1回目、グループで60cm大にひたすら切る。
2回目、60cmに切ったものを個人でC型クランプを使ってひたすら切る。着色剤で塗ってみる。
3回目、釘を15cmくらいの垂木にひたすら打つ。後半は変な釘、レアな釘、曲がった釘、付け足しできる木材など適当に出す。
4回目、接合について。ボンドと釘どっちを使うべきか。とりあえず組み合わせを考えてくっつけてみよう。
5回目、みんなはどんなのつくってるかな。4回目を基にしてなんかつくろう。
6回目、みんなはどんなのつくってるかな。なんかつくろう。
今年は垂木を頼んでなくて小割りばっかりなので小ぶりな作品になるかもね。