巨大な水たまりととるか、川ととるか。
発展の過程で生まれた、犠牲だけどプラスの事ととるか、醜いととるか。
カオス感が街を面白くしていくのは事実なわけで、それは人間がなんとかかんとか自分勝手に改良してきた結果だからだね。
張り巡らされた電線をウリにするか、景観破壊とするか、みたいなこともそうやねんな。
人間にはそのどちらの視点も大切なんだと思う。
偏った考えの人は愛すべき人だが、たくさんの角度からものごとを考える繊細な人の方が美しい。(と思ったけどいやどっちも愛すべき人だ。自分の中に基準があれば。)
子供に自分たちで決める事を必要以上に強いるのに、何故大人が自分たちで自分たちの事を決められないのか。まぬけだ。
自分の中に基準のない自己決定は破綻するのみである。そしてその基準が低水準のときもまた同様だ。
とか考えたけど、この画像を撮った時点ではこの川の色んな事の混在感がなんかかっちょいいと思っただけだので、こういうのを頭でっかちというんだろうなと今思った。
【題材名】自分基準
【内容】・自分をゼロとしていろんな「もの」が現在どこに位置するか自分の周りに座標として置いていこう。
・その理由がくだらないほど、面白い(真実である)ということを共有しよう。(その構成要素の側面に、価値をつけるという事です。)
いい記事。
返信削除なんかみんなブログのスタイル変わったよね。これが相乗効果でしょうか。
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